『海石榴』の名称と由来
ツバキの名称は漢字で表すとき、古い順から「海石榴」「海榴」「山茶」「椿」など、時代によって変遷がみられます。
万葉時代、奈良朝では隋・唐に遣隋使・遣唐使を派遣して中国文化の導入を図ってきましたが、当時中国文化の中心は北方にあって、ツバキの分布圏ではありませんでした。
遣隋使たちはツバキ油を採集する為、かの地に日本特産のツバキを持ち込みましたが、その樹木を見て、ザクロに似た紅花と花の後ろにできる果実を「海」を渡ってきた舶来の「石榴(ざくろ)」の意味を込め、ツバキに「海石榴」と漢字名が与えられました。
奈良時代漢字が日本に導入された当初は、中国名がそのままわが国でも使用され、「日本書紀」や「万葉集」にはツバキを「海石榴」と誌されています。
その後平安時代に入り、当時中国にはない樹木であったことから、中国の架空の生物名であった「大椿」の名称を借りて「椿」を国字として使うようになったのです。
現在の奈良県桜井市金屋の「海石榴市」との名称の場所が残っており、その発生は「椿」の交換のための市であったが、その後発展して当時としてはわが国最大の「市場」となったと云われています。
万葉集にはツバキを愛した万葉人が奈良周辺から遠くは越中、越前に赴任しツバキを詩に詠んだものが多くあり、それによって奈良時代のツバキの分布を知ることができます。
海石榴の客室に名付けられた椿の花々
侘助 わびすけ
本館客室 313
- 花色 紅色地に白絞り一重の極小輪
- 花径 1.5〜3.5cm、花弁は5弁
- 開花時期 早春咲き
侘助は来歴が古く、老木が各地にあり、特に京都に多い、老木は枝々によって枝変わりが多く出て、同株であっても全く別種のもののように思われることがある。 枝変わり種には「紺侘助」「雛侘助」「数寄屋侘助」など侘助の名をつけた椿が多数ある。侘助は古くは『増補地錦抄』に「侘介 赤一重小輪也。筒に咲きこまかな白星更紗あり」との記載がある。京都に銘木が多く、大徳寺、金閣寺のものが有名である。
有楽 うらく
本館客室 315
- 花色 鮮明な桃色、一重の中輪
- 花径 6〜8cm、花弁は6弁程度
- 開花時期 12月〜3月
別名「太郎冠者」とも称する、戦国末期から江戸初期の武将茶人である織田有楽斎が茶花として愛好した品種とされている。 枝伸びがよくやや太い、樹勢は強く生育は良好で樹形は円錐形になる。根は疎で粗いため移植には不向きである。 安政時代の『椿伊呂波名寄色付』に「薄紫の一重中輪極早咲筒しべ上々」とあり「太郎冠者」の品種名が用いられることもある。
日暮 ひぐらし
本館客室 332
- 花色 淡桃地に紅色の縦絞り、白覆輪の八重
- 花径 10cm、中〜大輪
- 開花時期 4月下旬〜5月
樹は立性で強健で整った腰高の美しい花を咲かせるが、伸長は遅く日当たりのよい肥えた土地でないと育苗は難しい。 江戸時代からの古典種で『椿伊呂波名寄色付』に「うっすりと桃色地に紅の飛び入り更紗鹿の子多く、三四重筒しべ ひらく花上々」と記載されている。
唐錦 からにしき
本館客室 333
- 花色 淡桃地に紅色の小紋絞りが密なる八重
- 花径 10cm、花弁12〜3枚
- 開花時期 4月
楕円形の花弁が三重ほどに重なり吹き付けたような紅色の小紋絞りが美しい。 江戸期からの古典品種で優美な花は定評があり古くから椿五木の一つとして知られている。 『椿伊呂波名寄色付』に「桃色地の紅小星 更紗鹿の子 砂をよりたる如く花形傾きて茶せんしべ大輪上々吉」とある。
光源氏 ひかるげんじ
- 花色 淡紅色地に紅縦絞り白覆輪 八重の牡丹咲き大輪
- 花径 12cmほどと大きい、花弁は約20弁
- 開花時期 3〜4月下旬
花は淡紅色地に紅の縦絞りが鮮やかに入る白覆輪、艶やかな感じの花容である。 江戸期からの古典品種で『椿伊呂波名寄色付』にも記載されている。 明治期に横浜の植木職により米国に紹介されその枝変わり品種が昭和20年代にカリフォルニアで出品され「スプリング・ソネット」の名で海外に流布されている。
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